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<title>リュウさん通信（渕上印刷　会長　柳正保）</title>
<link>http://ryusan.potika.net</link>
<description>渕上印刷会長　柳 正保の公式ブログです。</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2008</copyright>
<pubDate>Fri, 22 Feb 2008 08:58:18 +0900</pubDate>
<docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
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<title>「リュウさん通信」Potikaで開設。</title>
<description>
鹿児島ブログポータル「Potika」のオープンに伴い、「リュウさん通信」はこちらに移行してまいりました。初めてご覧になる方は、過去の記事を掲載しておりますのでぜひご覧ください。また以前のブログサイトでご覧いただいていた方々、今後ともぜひご愛読ください。</description>
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<pubDate>Mon, 03 Dec 2007 09:30:00 +0900</pubDate>
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<title>「地理」と「歴史」</title>
<description>
お顔が真っ赤だ。その方は猛烈に怒（いか）っておられた。自分は、その方のご自宅玄関に立ったまま。あんなに怖かった時間は過去にない。「帰れ！」とおっしゃる。そう言っては、奥へ引っ込まれる。取り付く島もない。初対面ではなく、数年来の顧客だ。気難しい方だと聞いてはいた。自分への気難しさが初めてで、緊張この上ない。何故お怒りなのか、その瞬間は分からなかった。ここで言われたとおり帰ってしまったら一巻の終わり。夫人が取り繕ってくださり、なんとか応接間へ通していただいた。長く感じた時間待たされ、しぶしぶながらその方が入ってこられた。「その方」を、ここでは仮に「金丸氏」としておこう。ひとしきり怒りを話された。神妙に受け賜わる。そのうちに「お前、焼酎飲むか？」と、おっしゃる。畏る畏る頂戴した。旨かった・・・！☆何故旨いのかと、縷々（るる）薀蓄（うんちく）。焼酎をお湯で割る、それだけなら皆やる。燗（かん）をつけると、よくブレンドされ、まろやかさと旨みが増すと言う。・・・息子さん自慢も始まる。飲むほどに酔うほどに意気投合し、帰りには当時の貴重品、輸入ウィスキーを一本、頂戴して辞した。このことがあってから、金丸氏とは一層親しくさせていただいた。当社が受注し自分が担当。お役所の、ある部署某課で定期刊行物を発行していた。３０年ほど前の、これは自分が駆け出し時代の古いお話。今もその課があるかどうか知らない。その課には正規職員のほか、同じ部屋に外郭団体的な別組織があり、発行業務はその団体に委託されていた。外郭団体トップは金丸氏。そういう地図だった。しかし自分の目には二つの組織に感じられず、皆さんが同じ立場に思えた。原稿執筆や取材を正職員の方々もなさる。一つの目的に力を合わせておられ、一体に思えた。そう思えたのは、その部屋の「地理」や｢歴史｣に無頓着だったからだ。外郭団体トップの金丸氏は、その課の課長から指揮命令を受ける。氏にとっては息子か孫のような課長から、予算面や記事内容まで管理される。それでも金丸氏は、完璧な定期発行に責任を持たされる。ここだけのハナシ、その部屋の中では互いに発行主導権を争うような空気が淀んでいたようだ。原稿一本に２、３回の校正が入る。最終チェックは金丸氏。あの日、金丸氏は取材出張で不在。発行日に追われていた自分は職員にチェックを受け、印刷工程に回した。このことが、ただでさえ不安定な立場の金丸氏をナイガシロにした「誰が渕上印刷にとっての客なのか！」。「オレが最後に目を通すと日頃から言ってあるじゃないか！」どなたがキーマンなのかの地理。どういう経緯でその団体が組成されたかの歴史。予算執行権は誰なのかの地理。何故金丸氏が一方のトップなのかの歴史。営業マンの基本、客先の「地理」と「歴史」を知るべし。 言うは易し。しかし、行うはなかなか険しい。</description>
<link>http://ryusan.potika.net/blog/34.html</link>
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<pubDate>Fri, 09 Nov 2007 10:43:00 +0900</pubDate>
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<title>みてきた中国：「人民こそ主人公」２の２</title>
<description>


訪問団のぞろぞろ歩きに飽き、勝手に行動。
小学生に卓球で負けたり、自転車群団の中でペダルを踏んだ。『ヤァ、陳さん、呉さん、孫さん。ボクも柳（りゅう）さんだ』と、人民の中に入り込んだ感激。精神愉快」。



自転車を貸したヘンな男が、なかなか帰って来ない。宿舎に戻ると、ひと騒動あったようだ。
写真の自転車籠に見えるミカンを差し上げ、彼女に機嫌を直して頂いた。&amp;nbsp;



「居住者ではなく、通過者だからウレシがっておれる。
素足の田園生活。電化もされないのどかさ広さ。ヤミ市さながらの商店街。民生品が並ぶ百貨店。文化とは、ぜいたくなもの。
モノの豊かさではない。貧しい中にも自分の心を和（なご）ませてくれたのは、人々の澄んで輝く目のせいか」。「帰りに寄った香港が毒々しく感じた。両極端の世界を短期間で目の前に並べられ、人間の幸福は物質の多寡だけではないと思った」。




香港のガイドが言う。「ほら、あのビルの蔭に居る、あのオバちゃんはスリです」。
昨日まで観た、のどかな田園とは正反対だ。土地の狭い香港島。高層ビルやアパートが林立。な、なんと！坪単価が７千万円だという。
横に広げず、上に伸ばすしかない。



「初めての山々を自分は驚きの目でみる。あの山だけしか見たことのない桂林の人々は、『驚くことはない。山とはこういうものだ』、と言うだろう。この人達に桜島や富士山、はたまたカナディアン・ロッキーやキリマンジャロを見せてあげたい。
人民こそ主人公。中国はこれからどこへ行くのだろうか」。




天安門事件で、民主化の遅れに各国から非難を受けていた。
当時の中国指導者曰く、「人民こそ主人公」。その言やよし。
25年前の中国は、みんなが同じように貧しかった。そのためか、人民には等しく不平不満はなかっただろう。
25年経って北京、上海を見た。オリンピックや万博を控え、中国経済は過熱しているが、地域や個人の経済格差が極めて激しいようだ。
年収3,500円の家族が居る反面、５億円のマンションに住む人も居る。3,500円は日給ではなく、年間の収入だ。これで共産主義国だと言えるのだろうか。
中国はこれからも、何処へ行こうとしているのだろうか。


《講評》
稚拙な文章ですが、たどたどしい中にも懸命さが感じられます。 「桂林（中国）の人々は、あの山々、共産主義という山しか知らないし、知らされていない」、こう言いたかったのですか。そして、あなたが見せてあげたいものは自由主義という山々なのでしょうね。
審査対象からも外れましたが、落ち込まずに努力を続けてください。あなたが、もっと読書量を増やせば、文章力もアップします。
</description>
<link>http://ryusan.potika.net/blog/33.html</link>
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<pubDate>Sun, 26 Aug 2007 19:46:00 +0900</pubDate>
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<item>
<title>みてきた中国：「人民こそ主人公」２の１</title>
<description>
鹿児島からも上海定期便が開設され、三年前に北京・上海に初めて行った。

「自分も生活が苦しいのに、敵国日本の子女をかくまい、育ててくれた」。
このことだけで中国国民のイメージが自分にとっては、すこぶるいい。
「そのこと」、「そのもの」の持つ情報の量によって、人の受け止め方は違うものだ。
子どもや家族を大事にする。遠い昔から、そういう国民性を中国人は持っていると、今も思い込んでいる。

その中国に25年前（昭和57年）にも行ったことがある。
大陸の南、桂林や広州だった。
この写真の子どもたちが当時５歳だとすると、いま30歳だ。
帰国から数年後、20年ほど前にエッセーを書かせて頂いた。
南日本新聞夕刊企画、「思うこと」欄。執筆者一人が10本を書く。その中の、題して「山々の形」。駄文であっても自分には好きな短文。
久々の「リュウさん通信」、書くにこと欠いて今日はそれを引用する。
その頃も今も、稚拙な文章力、感覚の幼稚さは変わらない


「ほんの入り口だけだったが、中国に行ってきたのは七年前。
生まれはミッドウエー海戦の年。大陸の従軍や引き揚げという経験は勿論ない。従って中国に『郷愁』があるはずもなく、旅の予備知識にと日中合作映画『未完の対局』を観た程度で発った」。
「中国はすばらしかった。
『二度と行きたくない。設備が悪く食事がまずい』と言う人もいる。
空腹は最大の調味料。生温かい麦酒（ぴ〜ちゅう）もないよりまし。
餓死しなければいい。こう思い込ませるほど、桂林にほれた」。



「感動とは新しい体験。行けども尽きぬ壮大な奇勝。
あれもやはり『山』と呼ぶのだろうか。
ニョキッと突っ立っているだけでなく、幾重にも重なる。何ともすばらしい山水画の世界」。
再見（つぁいちぇん）。


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<link>http://ryusan.potika.net/blog/32.html</link>
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<pubDate>Wed, 27 Jun 2007 19:14:00 +0900</pubDate>
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<item>
<title>ミス・プリント</title>
<description>
昨年11月２日、鹿児島市の「かごしま親善大使」が選出され、任命された。
我々の世代には「ミス鹿児島」がなじむ。「大使」と名称変更して二年目だそうだ。
翌３日「鹿児島おはら祭」でデビュー。
新しい三人の親善大使たちは一年間の任期を前に緊張の様子だ。

すべからく若い女性は人前に出ることなく、思慮深く、心優しい人であって欲しい。
親善大使が自分の娘であるならば、親としてこう言うだろう。
「大使就任、おめでとう。生涯のいい記念になるだろう。
なりたくて応募、合格したのだから、２〜３ヵ月は浮かれていていい。
回りからチヤホヤされることがあるかもしれない。それに錯覚、スター気取りで奢（おご）ってはならない。
お前のミッション（使命）は、如何に鹿児島をよくアピールするかだ。その勤めを、しっかり果たしなさい」。
なにはともあれ大使達には我が鹿児島のため、大いに貢献して欲しいものだ。

敗戦後の復興期、昭和28年「日本国民に元気と自信を与えた」のは、伊東絹子のミス・ユニバース３位入賞。
「八頭身美人」が流行語になり、「顔部分がカラダ全体の８分の１」が、いいプロポーションだと言われた。
ところで、鹿児島県観光連盟が企画募集した観光ポスター・コンペに、写真家の織作峰子（おりさくみねこ）さんに撮影をお願いして応募したことがある。
それまでにない切り口のすばらしいポスターを渕上印刷がお納めできた。
因みに織作さんも、「ミス・ユニバース日本代表」経験者だ。

さて、京舞の井上流は男子禁制の流儀。いまは祇園甲部の芸妓・舞妓が習う「都をどり」の流儀としても知られる。
４年前に98歳で亡くなられた井上流四世、井上八千代（本名・片山愛子）さんは人間国宝に認定されたお方だ。

鹿児島商工会議所新年会では、新人議員が芸者さんに扮してステージを勤める恒例の人気アトラクションがある。
新年会は、ご来賓や会員関係者250人ほどで会場が埋まる。
逃げ延びたものの、議員就任後３年目に捕まり、デビューするはめになった。
その年は３人が選ばれた。
♪月はおぼろに東山　霞む夜毎の　かがり火に〜・・・。
曲目は「祇園小唄」が選定され、ご披露申しあげることに決まる。
本格的だ。日舞のお師匠さん直々の指導もある。三回、一時間ほどのレッスンを受けた。
本番当日は有名美容室の先生方が着付けやメーキャップを施してくださる。
出演にあたり、各自が工夫した芸名を申告する。
包装資材やさんは「包み奴（つつみやっこ）」、社名に「福」がつく芸者さんは「ふくまる」姐さん。自分は印刷会社、「ミス･プリント」を命名した。
司会役の副会頭に、ミス･プリント姐さんの紹介を、くどいほどお願いした。
「発音が極めて重要です。ミスプリント（印刷ミス）ではありませんよ。（ミス・ユニバースの）ミス！プリント、ですからね」、と。

いよいよ本番。
ミス･プリント姐さんは、日本古来の伝統芸術京舞で「国民に元気と自信」を与えるべく、使命感に燃えた。
リハーサルの成果か、持って生まれた筋の良さか。姐さん三人の呼吸も合い、流れるごとくの華麗な舞い。
格調高く舞い納め、場内右方、そして左、最後は中央と、三方に気品溢れた一礼。しばし静まり返った場内。一瞬間を置き、称賛と喝采。

その年を最後に、伝統あるこの人気イベントは廃止となった。
「あれを観て気分が悪くなった」。「会議所の品格が落ちる」。
これが中止理由のようだ。
一体、三人のうちダレの舞いが中止に追い込んだのか！？</description>
<link>http://ryusan.potika.net/blog/31.html</link>
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<pubDate>Thu, 05 Apr 2007 15:19:00 +0900</pubDate>
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<title>スピーチ、その２「オヤジ・ギャグ」</title>
<description>
大勢の前で話すのは難しい。
ほろ酔い加減で仲間と談笑するのとはワケが違う。
大スターだった越路吹雪、超ベテランの森繁久弥でさえ、
幕が開く寸前はすごく緊張する、と聞いた。
ときおり自分も人前で話す機会がある。

もちろん大いにアガる。

アガらない苦労や工夫をいろいろした。
割りといい方法は、予め原稿を準備しておくこと。
さすがに棒読みはしないが、頼みの綱の原稿があるとアガらない。
原稿をコソコソ隠して話すと聴衆からは見苦しい。
堂々と原稿を使った方が自然だ。
原稿なしのマル暗記で臨むと、つい早口になってしまい、聞く側が落ち着かない。
早口になるのは、話す内容を忘れまいとする焦りがそうさせるようだ。
言うべきポイントまでを言い忘れてしまう。
それにしても、メモも原稿もなしに旨いお話をなさる方が居られるものだ。
政治家は本業だから旨いのは当然だが、一般の方でお上手だと尊敬してしまう。

就職志望の高校３年生300人を前に、話をさせられる羽目になった。
いつものように原稿を準備。
高校生の集団に話しかけたことはなかった。

自分には孫の世代。
若者言葉が分からない。
孫は居ない・・・★
それやこれや思い巡らすと緊張が募る。
当日が近づくに連れ、絶頂を極める。
アガらない方法はないものか・・・。

その日話すのは二人。
自分は二人目だった。
「皆さん、こんにちは。ご紹介を頂きました柳です。
まず最初にオジン・ギャグをやります。
面白くなくても、笑ってください。
そちら側で、ただ座っているだけのあなた方はアガりません。
皆さんに笑って頂くと、この壇上でアガっている私の気がほぐれるからです。

え〜、実は、こちらの学校から一ヵ月以上前に、ここでお話をするように言われていました。
今日のお話の準備をする時間が充分ありました。
ところが、ですね〜、先ほどまでお話しなさった○○さんが、私が言おうとしていたこと、私が一生懸命に準備してきたことを、ぜ〜んぶ話されてしまいました。
ですから私が今日、お話しすることは、ありません。
・・・終わります」。
こう言って一礼し、自分の席に戻った。

かろうじて場内は、ひとしきり笑ってくれた。
・・・再び壇上に戻り、本題に入った。
たったそれだけのことで、アガらずに導入部に入って行くことができた。
あとはもう、準備してきた原稿が助けてくれる。

遠来の講師は通常、真っ先に鹿児島と自分との縁や、鹿児島の良さを褒めるなど、ご当地ばなしをなさる。
これも講師が初対面の聴衆との距離を縮め、親近感を図っておられるのだろう。
中にはサービス精神が旺盛なのか、いきなり本題に入られる方も居られる。
これはこれで好感が持てる。
本題とは関係ないお世辞を言う時間の無駄を排し、講演料の効率化を図っておられる、と思えるからだ。

お話の旨い方は、笑いの採り入れ方が上手だ。
冒頭に笑わせられると聴衆は、講話者との距離がぐんと身近に感じ、話す内容に引き込まれ易いのではないか。
この手法を使ってみようと、会場到着直前までに思い当たった。
二人目だったことが幸いし、急に思いついた「オヤジ・ギャグ」、シナリオ作りの時間が得られた。

話した内容が与えられたテーマに副っていたのか、聞いてくれた高校生の参考になったのかどうかは心もとない。
あのオヤジ・ギャグが、一定の成果をみたことだけが印象に残った。
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<link>http://ryusan.potika.net/blog/29.html</link>
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<pubDate>Tue, 20 Mar 2007 16:18:00 +0900</pubDate>
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<title>新年会ご挨拶</title>
<description>
リュウさん通信の発信をさぼっていたら、いつの間にか年が改まっていた。
辿ってみると最後が昨年10月だったから、随分と間が空いてしまった。ギャラなしとはいえ、さぼり過ぎだ！
年が改まっただけでなく、自分も社長から会長に改まった。
平成19年、今年初めての発信。なにはともあれ新年のご挨拶。
明けましておめでとうございます。

お正月には、さまざまな団体や職場で新年会が開かれる。鹿児島県印刷工業組合主催の「印刷年始会」は今年29回を迎え、各種新年会のピークが過ぎた12日に開催。213名の方々にお越し頂いた。
アトラクションには極力、子ども達を登場させたい。失敗や度胸づくりが出来る場を提供してあげたいと思っている。
配布するプログラムは、印刷業界団体主催らしく、デザインや印刷技術の紹介を兼ねたものにする。しかし、出費多端の折、今年は節約した。
主催者を代表してご挨拶をしなければならない。どんな内容にするか、毎度悩む。重苦しく厳しい状況とはいえ、新年会では話題を明るくしたいから悩む。
挨拶内容には一定のパターンがある。主催団体の今年の方針、その業界や団体特有の動向、干支に触れたおオハナシ・・・。
年始会に複数出席すると、既に聞いたことのある話題になったりもする。今年は次のような理事長挨拶をさせて頂いた。

「さて、新聞も含めた印刷物の利点、その一つは、いつでも何処でも、そして必要なだけ、読んだり観たり出来る点であります」。
紙媒体が、テレビやネットと違う利点だ。こうした内容に触れることは印刷団体の挨拶から外せない。
「皆さん、今年は思いっきり明るく、何ごとにも感謝、感謝で参りましょう。落ち込んだり、ものごとを暗く考えないで前向きに、有り難い、という気持ちで、この一年を送ってみようではありませんか」。
いざなぎ景気を期間で超える、好景気だと喧伝される。それらの数値は平均値であって、実は長引く不況が実感だ。
「地域や業種によっては57か月のいざなぎ景気を超え、70か月近い不況が続いております。
これも、有り難いと思ってみましょう。好景気という恵まれた境遇に居りますと、つい感謝を忘れ、マンネリや傲慢に陥りがちです。
この不況は、我々に『有益な試練』を与えているのかもしれません。苦しい中からこそ、勝ち残るための工夫や知恵が生まれる筈であります。
同業他社の、考えられないような安値受注が起きたとします。これも、有り難い、と考えてみましょう。一体、どういう合理化や経営改善をすれば、そういう価格が提示できるのか、と『分析』をしてみることも重要です。コストダウンのいいヒントが得られるかもしれません。
『売上げが少ない』となげく前に、『需要のない中、よくぞ我が社に発注くださった』と喜んでみようではありませんか。感謝しようではありませんか。
そう思うことで、そのお仕事を大事に大切に、心を込めて作り、感謝の気持ちでお納めすることになるでしょう。感謝する気持ちは態度に表れ、相手に、お客さまに、必ず伝わります。
『お前達の働きが悪いからだ』などと、自分の経営責任を転嫁するのではなく、社員の方々には『いつも頑張ってくれている。有り難いな〜』という言動が大事であります。
こうした中から、ほんとうの意味での『顧客本位』や『社員満足』が生まれ、結果として事業所が潤い、勝ち残れる筈だ、と思う次第でございます」。

坊さんの法話のようになってしまった。一番言いたかったのは次のくだり。
「本日は、『感謝』ということをキーワードにさせて頂きました。
実は皆さん、この不況の中、規模の大小を問わず、業種を問わず、とても元気な企業、お客さまから絶大な支持を得ている、そして百年を超える会社がたくさんあります。
それらの企業に共通していること、それは、根底には必ず『感謝』というものがある、ということでございます。
この一年が、お集まりの皆々様にとりまして、輝かしく、そして感謝の年でありますよう、心からお祈り申しあげる次第でございます」。


過去の印刷年始会プログラム表紙（いずれも、作：中西理恵） 



今年のオープニング・セレモニーは、鹿児島市立山下小学校器楽部の皆さんが演奏&amp;nbsp;</description>
<link>http://ryusan.potika.net/blog/30.html</link>
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<pubDate>Wed, 07 Mar 2007 08:52:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>三分間スピーチ</title>
<description>
人前で話すことは、たいへん難しい。
自分も大の苦手だ。

少しでも話せるために結婚披露宴の司会役を買って出たりもした。
社内のオメデタ情報が入ると、「まだ決まってなかったら、僕に司会をやらせてくれない？」などと申し出たことが、たびたびある。
本番当日はテープレコーダーを持ち込んで録音した。当時の録音機は、でかくて重い。お開きの後、帰って再生する。
「あ、ここはもっと間を置くべきだった」。
「ちょっと早口過ぎて聞き取りづらいな〜」。
「こういう表現にした方が良かったかな」などとチェックを入れた。
これはいい訓練になった。
新郎新婦、親族の方々や列席者に「押しかけ司会者」は随分とご迷惑を掛けた。
お蔭でだいぶ度胸も付き、勘どころが少〜し、分かるようになった。

社内の朝礼で「三分間スピーチ」をやっていた頃がある。
どんな人でも、公の場で話さなければならない場面や立場が来る。そうした場面で、たじろがずに話せるようになって欲しい。
そのためには朝礼の場で、たくさんの失敗をしておいて欲しい。
大勢の前で話せるには場数（ばかず）も必要だ。

一つのテーマを三分にまとめるのは、かなりきつい。
何分でもいいとなると、つい冗長になる。
言いたいことが多すぎる場合もある。それらを３項目くらいに絞り込むと、聞く側は頭に入り易い。
何を自分が話題にするか、から始まる。テーマ探しのアンテナが磨かれ、創造力や企画力が醸成される。

テーマが決まる。
それをどの言葉を用い、どう表現するか。話す順にも工夫がいる。言いたいことが聞き手に伝わる必要もある。伝えるには声も相手に届かなければコミュニケーションは成立しない。
説得力や、構成力が醸成される。

嫌がる者も居た。
自分が話す日には遅刻するか欠勤する、なども見受けられた。
その場合、朝の三分間スピーチは空欄になる。
その対策に、「スピーチ・カレンダー」までこしらえた。カレンダーに話す者の名を入れる。本人が不在の場合、次の日に２名が話す。
こうしないと、どんどん納期が遅れてしまう。
強引、かつ強制的この上ない。

暫くすると、効果が見えてきた。
例えば送別会席上、いきなり指名される「送る言葉」などの時間に、すらすらと立派に話す者が増えた。
「三分間スピーチが自分の番の日はとても嫌だった。嫌々ながらも続けてきたお蔭で、いまはほんとに良かったと思う」。
そういう声も聞くようになった。

聞く態度にも変化が出た。
話し上手は聞き上手。話す側を体験したために、話す者への思いやりが生まれた。
婚礼の席、アルコールも手伝い、乱れ放題どきになる友人代表スピーチも、自席に戻って耳を傾けるようになった。
話す内容は趣味のこと、昨日のできごと、論説、ふと思ったこと、などさまざまだ。
聞く側も話し手の意外な側面をみる。
「あの人は、あんなに素晴らしいことを考えていたのか」。
「日ごろは無口なこの人、話す内容は論理的でテーマも高尚、見直した」。
などなど、たくさんの新発見があった。</description>
<link>http://ryusan.potika.net/blog/28.html</link>
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<pubDate>Mon, 23 Oct 2006 08:50:00 +0900</pubDate>
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<item>
<title>披露宴三題</title>
<description>
20年、30年前の披露宴は、宴たけなわともなると無礼講。
場内を走り回っている者も居る。椅子テーブル席なのに、床にクルマ座になった酒盛りが始まる。まさに「山賊の集まり」の様相を呈した。
新郎が社員で、招待客のうち20〜30人は社内の者という気安さもあったのだろう。
いま思うと赤面の至りだ。

10年前の駄文を流用する。
たびたび披露宴に出席させて頂いたことどもから綴った。
それに今回、手を加えた。

当時の披露宴はまだ、媒酌人全盛。
いわゆる「頼まれ仲人」だったが、社内から依頼があれば喜んでお受けしてきた。
意外とたいへんではある。
数ヵ月先の日程が決まる。結納当日と婚礼当日、この二回は夫婦二人ともが必ず揃い、かつ健康でなければならない。
カップルの発掘から引き合わせまでの「月下氷人」ともなれば、もっとご苦労なさるのだろう。
その１「主客転倒」
頼まれて仲人をお受けすることがある。
新郎新婦はともかく、媒酌人までが招待客を見おろす席に座るのは、ちょっと気がひける。
ご披露申しあげる新婦が、お客様に良く見えるための配慮と解し、よしとしよう。
どうにも気になるのは、席図表に「御媒酌人○○○様、御媒酌人令夫人○○○様」と表示してあることだ。
両家とともにお招きした側、仰々しく敬語を付けるのは如何なものか。
仲人が新郎の上司や目上の人だから敬称を付けた。
多分それが、この興りであろう。
新郎には上司でも、招かれたお客様にとっては、招いた側である。
ある会場では「その通りだ。尤もだ」とすんなり受け入れ、「媒酌人○○○、媒酌夫人○○○」と表示してあった。
別の会場では、くだんの理屈を頑として受け入れてはくれなかった。
何故かと理由を聞く。
何処の会場でも、みんながやっているから、だそうだ。

その２「花束贈呈」
披露宴の司会役を頼み込んでまでさせて貰った頃がある。
みんながやっていたから、両親への感謝を込めた「花束贈呈」もシナリオに入れた。
今日は泣く人が居たから成功だ。
次はもっと泣ける演出をするぞ！と悦に入っていた。
四人の子を授かったいま、そのことを反省し、恥じている。
「今日まで育てて頂き、有難うございました」と、親子水入らずの感動的なひと時は、挙式前日に済ませてある。
親と子にとって大切で、極めてプライベートなことを、酔っ払った他人の前で、ショーとして行うのは如何なものか。
その３「無礼千万」
乾杯も済み、友人代表スピーチの時刻には、アルコールが手伝って会場は千々に乱れる。
媒酌人挨拶、主賓祝辞では水を打った静けさだった。
酒はこうも人を変えるものなのか。
ほんの５分ほど、自席で静かに聞いてあげられないのは如何なものか。
みんなが騒いでいるからもあろうが、その友人代表は何日もかけてスピーチを準備し、せいいっぱい心を込めてお祝いを述べている。
その祝意は伝わらない。
花嫁花婿はもとより、そのご両親・ご親族は、どんなにかせつない気持ちで、この無礼な光景を眺めておられることだろう。
・・・ある披露宴でのできごと。
著名人が招かれていた。
肩書きが町会議員だったから地域では名士なのだろう。
これからテーブルスピーチが始まる、そのタイミングで仲人役の自分の席にその方が勧盃（けんぱい）に来られた。
「あ、これからスピーチが始まりますので、座って聞きましょう。
終わり次第、先輩の席に参りますから、ネ」
と、やさしく盃を辞退した。
その古老は
「え、そうや。田舎者でそういう礼儀は知らなかった。ご無礼しましたな〜」
と、不機嫌な口調で自席に戻られた。
しまった！　ちょ〜っとやり過ぎた・・・★
スピーチが済むのを見計らい、すぐにその席まで行って献杯（けんぱい）申しあげた。
暫し一緒に酌み交わした。

そのことがあってから親しくなって、入院見舞いに伺ったり、ご自宅の豪邸に招かれたり・・・、その方とのお付き合いが数年続いた。</description>
<link>http://ryusan.potika.net/blog/27.html</link>
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<pubDate>Mon, 16 Oct 2006 18:05:00 +0900</pubDate>
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<title>忍ぶ恋（２の２）</title>
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「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」。

この語は、「葉隠（はがくれ）」全体を象徴する。

新潮文庫「葉隠入門」で、三島由紀夫は「世間から必読の書のように強制されていた戦争時代が終わったあとで、かえって自分の中で光を放ちだした」。
「自由を説いた書物」、「類のないふしぎな道徳書」だという。

「武士とは死の職業である。
平和な時代になっても、死が武士の行動原理であり、死をおそれ死をよけたときには、もはや武士ではなくなる」。

「武士は死ぬことなり」とは、なんともケタタマシイ。
そのスサマジイばかりの葉隠が、実は恋にも言及している。曰く
「恋の至極は忍恋（しのぶこい）と見立て候。一生忍んで思ひ死にする事こそ恋の本意なれ」。
「打ちあけた恋はすでに恋の丈が低く、一生打ちあけない恋が、もっとも丈の高い恋である」。
葉隠は、「誠の恋は忍ぶ恋」だと断言する。
忍ぶ恋は、片思い、プラトニック・ラブのこと。
プラトニックは辞書に
「男女間の恋愛が肉体を伴わないときに用いられる」とある。

富士には月見草がよく似合う。
リュウさんには片思いがよく似合う。
リュウさんの忍ぶ恋･･･
還暦を過ぎるまではと内緒にしてきた。
姓は出さない。名を邦子（くにこ）と言った。
自宅敷地内の離れに、邦ちゃんの祖母と叔母が住む。
そこにお邪魔した。
行くと必ず邦ちゃんを呼んでくれ、明るい声で邦ちゃんはすぐにやってきた。
修学旅行に行った、スキーに行ってきたと言っては、写真を見せ合ったりした。

当時はハイキングやサイクリング、海水浴が若者たちには最高のレジャーだった。
今で言う、合コン。
恐る恐る邦ちゃんを誘った。
気持ちよく引き受けてくれ、ほかに数名を連れてくるという。
市立桜台高の女学生、こちらは市立向陽高の男ども。
名古屋駅集合。
名鉄電車に揺られ、三重県の鈴鹿山麓まで日帰りキャンプに行った。
ワイワイがやがや、ナニをやっても嬉しかった。


電車の往き返りも含め、ほかの女生徒とは気軽に談笑できるのに、
何故かグループの中に居る邦ちゃんにだけは、ついに話しかけることができなかった。

邦ちゃんは高校演劇部の部長さんだった。
部員の中には松原智恵子もいるという。
名古屋の風呂屋の娘だ。
デビュー当時、そこの銭湯が流行った、とかと聞いた。
松原智恵子には、とんと関心がなく、邦ちゃんだけが気になった。

邦ちゃんが入院した。
盲腸の手術だったように思う。
病院に見舞った。
「人の難に逢うたる折、見舞いに行きて一言（いちごん）が大事のものなり。その人の胸中が知るるものなり」（葉隠聞書）。
自転車にはかなり遠い道のり。
ものともせず、ウキウキしながら、ペダルを踏んだ。
な〜んで、入院見舞なのに、ウキウキするのさ！
病室で母親に初めてお会いした。
ごくごく普通のいい母親なのに、緊張が極まる。
「必ず幸せにします。僕に邦子さんをください」。
それを言う場面でもなかった。
他愛ない初対面の単なる挨拶。
なんとか上手く言えて、ことのほかホッとした。

邦ちゃんが自宅の前で、背も高くてかっこいい男子生徒と二人、楽しそうに話しているのを見た。
そいつは、ほんっとにカッコ良かった。
それを見てから、邦ちゃんの前に現れるのは止そうと決めた。
その後、それなりに虚（むな）しさは続いた。
それでも、いい余韻がいまでも残る。
何故、いい余韻が残るのか。
「もう来ないでくれ」と、一方的に言われたワケでもなかった。
卒業を控え、祖国の中心、江戸に出ようという「ほかの関心」があったからだろう。

女性はすべからく、「可愛くて、か弱く美しいもの」だ、と昔もいまも思っている。
小指と小指をからませたこともない。指一本、触れてはいない。
生きて再び、会うことはない。

「一生打ちあけず、思ひ死にする恋」、
「最も丈の高い恋」・・・、な〜んちゃって！
45年ほど前の我が「忍ぶ恋」、
今宵はここまでに致しとう存じます。</description>
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<pubDate>Wed, 06 Sep 2006 11:10:00 +0900</pubDate>
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