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<title>渕上印刷会長 柳正保の「リュウさん通信」</title>
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<description>鹿児島の印刷会社：渕上印刷の会長　柳 正保の公式ブログです。</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2009</copyright>
<pubDate>Fri, 13 Mar 2009 08:56:11 +0900</pubDate>
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<title>スター誕生</title>
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アカデミー賞のダブル受賞に日本は沸いている。アニメ「つみきのいえ」。鹿児島市の「ひまわり幼稚園」では、加藤監督が卒園後に送られた賀状を展示、卒園者の快挙を讃える。「おくりびと」は、ロケ建物を住民が一大清掃され、見学者受入れ準備が万端だ。受賞作品の監督や出演者に、これからオファーが急増するそうだ。我が身内にも、俳優がいた！嬉しいような、こそばゆいような・・・孔貴(こうき)くん、１歳。子役である。末は「主演男優賞」か、「オスカー像」。３年前、妻の祖母の50回忌法要が鹿児島市内で営まれた。13回忌は、よく聞く。なんとか33回忌までは行われる。50回忌法要開催はなかなかで、有難いことだ。アカデミー賞贈呈式が映画の祭典なら、50回忌は親族の祭典だ。法要後の食事会はコダック・シアターではなく、鹿児島サンロイヤルホテル。孔貴くんと、その席で対面した。淵上正畩(しょうげさ)・イト夫妻は、90年前の大正９年、鹿児島県の串木野から子供たちを荷車に乗せ、勇躍、鹿児島市中町へ越した。そこで蓑田兄弟商会を興し、渕上紙商店となり、(株)渕紙に至った。イトさんの50回忌。その日集まった淵上家ゆかりの老若男女、45名。配られた家系図風の名簿に164名が載り、142名が存命だ。淵上一族100年に及ぶ歴史をみる思いだ。正畩夫妻に子が10名。孫が22名、ひ孫がちょうど50名、ひ孫の子が26名で計108名。164名と108名の差、56名は婚姻による嫁か婿の数だ。自分は婿の数に入る。ルーツは全員、鹿児島。今の住居地はさまざまで、都内・千葉や横浜、はたまた大分。立場も職業もさまざまな中、際立つのがスター孔貴くん。さすがに可愛い！民放テレビ「西遊記」に、出演したばかりだそうだ。号泣する赤ん坊役。子役というより、ベビー役か。スタジオ写真をご両親から頂いたが、ここへの無断掲載は控える。あれから３年。いま孔貴くんは４歳。淵上一族、これからの歴史100年を作ってくれる一人だろう。不肖リュウさん、子を４人授かった。孫は居ない。孫は居ないから、ひ孫も居ない・・・願い出て孔貴くんを抱かせて貰った。１歳と60代。60年後の孔貴くんに、幸多かれと祈る。</description>
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<pubDate>Fri, 13 Mar 2009 08:56:00 +0900</pubDate>
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<title>「父さんの宝もの」</title>
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交互に女、男、女、男と、四人の子を授かった。このタカラモノ、嫁に行ったのが居るかと思うと幼稚園に行ってるのもいる。子の挙式に親は、何がなんでも出席する。それなのに、親の式には四人のうち、一人としてカオを出しゃしない。子供というものは誠に勝手なものだ。コイツラのお蔭でフルムーン旅行など、まだ当分できない。実現するころには若夫婦の方がさっさと旅に出るだろう。押し付けられたじぃちゃん・ばぁちゃんは、孫のお守りをさせられる。日本の少子化。子供の数は昭和五年に平均で四.五人だった。今は一.七人。二.一人以下だと人口が減ってゆく。神戸大学の試算では、このまま推移すると一億二千万人が百五十年後は五百万人になるという。百八十万人の鹿児島県は七万五千人になる比率だ。日本は滅亡してしまう。昨年暮れ、山口県の藤村さんに双子が生まれ、十七人という日本一の子宝になられたそうだ。祖国の将来を考えるとき、藤村さんご夫妻にこそ国民栄誉賞をお贈りしたい。女史パウロ会刊「父さんの宝物」は岩手県、山浦玄嗣医師の著。なだいなだが次のような巻頭言を寄せておられる。「『ぼく働く人』あるいは『ぼく稼ぐ人』になってしまった父親の、現代になんと多いことだろう。教育のすべてを、母親と学校まかせにしてしまうなんて、父親の義務の放棄だ」。著者山浦先生はまえがきで、「父親はみずから父親になるのではなく、子供によってむりやりに父親にならされるのである。父親は子供の偉大な師であるが、子供も実は父親の生みの親である」といっておられる。ご本人は八人のお子さまをお持ちだ。子育てに奮闘される痛快な物語が展開する。宝物はご夫妻共有のはずなのに、書名を「父さんの」とされたのは何故だろう。この父さんには、もう一人、大事な宝物がおられるからだろう。（南日本新聞夕刊、平成2年1月31日）


南日本新聞夕刊休止を惜しみ、執筆分をリバイバル掲載。この「父さんの宝もの」も、夕刊「思うこと」に書かせて頂いたもの。言語明瞭意味不明瞭な作品群の中には、気に入っていたものもある。「山々の形」も好きで、おととし６月頃、リュウさん通信に「人民こそ主人公」で再デビューさせた。≪関連する記事≫■みてきた中国：「人民こそ主人公」２の１■みてきた中国：「人民こそ主人公」２の２</description>
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<pubDate>Fri, 06 Mar 2009 10:29:00 +0900</pubDate>
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<title>四角なスイカの作り方</title>
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写真処理：愛甲理一朗

実がついたら、透明ガラスを箱にして囲んでおく。成長の行く手をガラスがはばみ、ついには四角いスイカができあがる。枠にはめ、伸びる芽を押し止めた西瓜はいただけない。胡瓜は細長く、西瓜はまぁるいのがいい。日本はアメリカを追いかけてさえいれば成長でき、独創性はあまり必要なかった。いつの間にかトップを走るようになり、前に誰もいない。いまこそクリエーティブな日本人が必要だ、と言われだして久しい。四角なスイカ、カタにはまった創造力乏しい人材をつくらないためには、その人の特長を周囲がよく伸ばしてあげることだと思う。伸ばすためには前向き、肯定的に対処し、あれはダメ、これもダメと否定、やる前から「どうせ駄目だろう」のマイナス志向な周囲では、四角なスイカができあがるということだろう。子育てや人づくりで、次の話は楽しくうれしい。ミミズをみつけた男の子がどこまで這っていくのかと夢中で、始業ベルが鳴っても校庭から動かない。「無理やり教室に連れてきたくない。その子に、ミミズがどこまで行くのか見届けさせてやりたい」と、小二二女の担任はおっしゃる。この教師は、スイカを四角にしたくないと努力しておられる。四番目の子、二男の幼稚園ではモンテッソーリ教育を取り入れている。食事も入浴もこどもの生活は、すべて「遊び」だ。教材との遊びに熱中する中から、個性の
芽を引き出す教育方法だという。一斉に同じ遊戯をさせたり、はみでたこどもを叱ったりしない。四角なスイカをつくろうとしていない。冒頭の方法で四角なスイカがつくれるかどうか、試していない。あのやり方だと、スイカは四角になる前にクサッてしまうだろう。（南日本新聞夕刊、平成1年12月6日）


南日本新聞の夕刊が、２月末をもって廃止となる。
残念だが、このところの世情では止むを得まい。

夕刊にはエッセー・コラム「思うこと」がある。
週１ペースで一人10本。1クルー、購読者6人が執筆。

自分も書かせて頂いた。
このコーナーは随筆の場だ。夕刊はその日の疲れを癒し、くつろいだ時刻に読む。堅苦しい内容は避けた方がいい。
しかし、ついつい構えてしまい、緊張この上ない。
「言語明瞭意味不明瞭」なものばかり送稿した
中には気に入ったものもある。
今日はその中から、「四角なスイカのつくりかた」。</description>
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<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 09:04:00 +0900</pubDate>
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<title>偉業の未完：その2</title>
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数年前から、我が社の玄関に異様な物が鎮座ましましている。「異様な物」とは謙遜で、見るたびにほくそ笑み、悦に入っている。我が人生、生涯最初で最後、最良の出来栄えだからだ。玄関モニュメント、名づけて「偉業の未完」。木彫り師、柴田博文氏に制作を依頼した。福岡県糸島郡。博多駅から電車で佐賀方向に向かい、無人駅で降りる。駅から車で十数分。氏の工房は田園の中、なだらかな丘の中腹にある。渕上印刷は拠点を鹿児島に置く。屋久杉を素材に彫って頂こうと思った。「屋久材は硬くて彫りにくい。原木も高い。自分は制作に、楠しか用いない」とおっしゃる。なるほど工房には楠で制作中の作品で溢れている。幼稚園が依頼元らしい動物の彫り物。楠だからこそ子供たちに「木のぬくもり」が伝わることだろう。印刷会社の玄関らしく活字をモチーフにし、「こうこう、こんな風に造って欲しい」とお願いした。木を彫るのである。簡単にやり直しは利かない。意図した通りの仕上がりで届き、ものすごく嬉しかった・・・素材は「鹿児島県の木」楠。地域密着企業をめざす。来社頂いた方に、聞かれもしないのに説明申しあげる。「未完成に見える完成品です。」企業に完成はない。直前号のリュウさん通信、朝日新聞1月9日号は、金属活字を完成させた木村嘉平の『偉業』が、日の目をみなかったことを『未完』とした。このモニュメントには印刷人として顕彰の意も込めたが、嘉平の偉業を前に、怖れ多い気もする。羅針盤、火薬とともに「活版印刷」は世界の三大発明。
全日本印刷工業組合連合会では9月3日を「印刷の日」としてきた。その日は日本近代印刷術の始祖である本木昌造の命日だ。長崎製鉄所頭取でもあった翁は明治2(1869)年、上海の活版技師ウィリアム・ガンブルを長崎に招き、電気分解法による母型製作や活字鋳造の指導を受けた。翌明治3(1870)年、長崎に新街活版製造所を創設、活版印刷の工業化を果たし、惜しげもなく各地へ広めた。
この時代、国内各地で金属活字鋳造への挑戦がなされたが、いずれも事業化に至らなかった。
&amp;nbsp;薩摩藩でも藩主島津斉彬が江戸の木版職人、三代目木村嘉平に命じて鉛製鋳造活字を作らせていた。藩士教育が斉彬の狙いだった。命を受けた嘉平は晩年、失明してまでこの偉業を成し遂げた。完成に11年かかったという。嘉平が独力で鋳造を完了したのは元治元(1864)年、斉彬逝去に相前後した。長崎の本木活字完成は嘉平活字完成の6年後。薩摩藩が6年早い。平成10年、尚古集成館所蔵の「木村嘉平関係資料」が、国の重要文化財に指定される。実用化されなかったが故に散逸せず、散逸しなかったが故に重文指定となった。金属活字が日本で一番早く、薩摩藩で完成していたことは、郷土鹿児島はもちろん、印刷業界にとっても大きな誇りだ。もしも、完成前後の斉彬逝去なかりせば、嘉平活字が実用化されたはずだ。そして斉彬か嘉平ゆかりの日が「印刷の日」になっていたであろう。今年は、島津斉彬公生誕200年である。</description>
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<pubDate>Thu, 19 Feb 2009 09:11:00 +0900</pubDate>
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<title>偉業の未完</title>
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1月9日（金）付の、朝日新聞27ページ。書き出しを読んで、びっくりするやら嬉しいやら・・・シリーズ企画「富国の人　斉彬と集成館」が掲載されている。この日のタイトルは「知の蓄積　刻む活字　活版印刷　独力貫いた職人の志」。以下、書き出し部分を書き出してみる。

鹿児島市樋之口町の印刷会社「渕上印刷」の玄関正面には、クスの木で仕上げた正方形の浮き彫りがある。題は「偉業の未完」。40センチ四方に刻まれた社名の4文字目は完全に彫り込まれていない。　「日の目を見ることがなかった偉業を顕彰する意味で、制作を依頼しました。郷土と
印刷業界の誇りです」。会長で県印刷工業組合理事長の柳正保(66)が言う。「偉業」の主は江戸の木版彫刻師の3代目木村嘉平。島津斉彬が１８４７(弘化4)年、洋式の鉛活字の製造を依頼した。・・・(以下略)
平成21年1月9日 朝日新聞鹿児島版より抜粋

篤姫の養父・島津斉彬が、今年で生誕２００年を迎えることを期した朝日新聞鹿児島総局の企画だ。斉彬の遺徳の数々を採り上げ、元旦から力作が連載された。この日は３代目木村嘉平のひ孫、木村嘉興氏がお住まいの神奈川県まで取材に出向いた記事などで埋まっている。斉彬の集成館事業には出版や電信・写真など、印刷の分野でも大きな遺徳がある。自分も取材を受けた。記者の狙いは「現代の印刷業界に遺徳が引き継がれていないか」であったようだ。「残念だが、それはないように思う」と答えた。島津家はいま、島津興業株式会社として、さまざまな事業を展開しておられるが、印刷を事業にされた形跡はないようだ。事業化していたら、いい形で継承されていたと思う。例えば、新潟県燕市の産業、金属洋食器は江戸時代の「釘づくり」がルーツだそうだ。その技術が変遷を経て継承され花開いている。昨年のノーベル賞贈賞式、1,600名の晩餐会で燕市のナイフ、フォークが採用されたという。薩摩藩の印刷が伝承されて、燕市のように現代に息づいているという様子は見当たらない。「尚古集成館には印刷文化財も多数保存されている。県印刷工業組合の記念事業で、僅かながら保存費用を献呈申しあげた」と、記者に付け加えるのがやっとだった。そう答えながら、雑談として当社玄関のモニュメント「偉業の未完」を記者に自慢した。それが記事になって驚き、嬉しかった。モニュメントを本文導入に扱い、ああいう表現で読者を引き込んでしまう筆力は見事だ。同じ紙面に西郷南洲顕彰館の現館長、高?毅氏も登場する。県印刷工業組合では創立40年を記念、執筆を高?毅氏にお願いして記念誌を刊行した。A4、516ページ。初版発行は6年前の平成15年1月11日。記念誌の取材・執筆が進むに連れ、誌名は「かごしま印刷史」に決まった。単なる業界団体史に留まらず、学術的な内容が全容を現したからだ。同誌は「560年に及ぶ薩摩の印刷文化史」として評価され、第29回南日本出版文化賞受賞の栄誉を得た。表紙は、尚古集成館所蔵の嘉平活字で飾られている。</description>
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<pubDate>Thu, 12 Feb 2009 08:44:00 +0900</pubDate>
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<title>遺言の勧め</title>
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昨年、官公庁や団体の御用納めは26日金曜日で、例年より2日休みが多い年に当った。我が社では「仕事納め」と称している。ある年の仕事納めで、次のような挨拶をした。

皆さん、今年一年間、本当にご苦労さまでした。一年の締めくくりにあたり、ひとことご挨拶を申し上げます。正月も目前(もくぜん)、今日は難しいことは申しません。三つだけ申し上げます。還暦とお年玉、そして遺言のことです。


還 暦
&amp;nbsp;
当社は個人創業から60年、10月には皆さんと一緒に時間を過ごすことが出来ました。
社員の集いというタイトルでしたが、当社60歳の誕生会でもあったのです。生まれて60年、還暦祝いでもありました。
ところで皆さん、還暦は暦(こよみ)が還(かえ)ると書きます。
今日は水曜日です。来年の今日は水曜ではありませんが、60年前の今日は水曜でしたし、60年後の今日も水曜日です。
これが、60年で暦が還るということです。
もののない時代を生きた私の母親は、『その年が終わってもカレンダーを残しておけ。60年経てばまた使えるんだ』と言っていたのを覚えております。
還暦は『赤ん坊に還る』ということです。還暦を迎えた方は、赤いチャンチャンコと赤い帽子、赤ん坊に扮して祝いました。
我が社は来年から一歳の赤ん坊、新しい気持ちで次の60年に向かって進んで参りましょう。

・・・因みに、昨20年９月は当社設立60年だった。株式会社登記が昭和23年９月。設立60年なのに事業年度が62期なのは、途中で決算期変更を行ったため。平成21年は、昭和19年の個人創業から65年目になる。
お年玉
&amp;nbsp;次に正月らしく、お年玉のことを申しあげます。
参考にしろということではありません。ウチの話です。
我が家でも子供達にお年玉を渡します。
ただポイと渡すのではなく一人ずつ5、6行のメッセージを添えます。
『これを改めた方がいい』とか『あれは頑張った』、などと書いて同封します。お年玉一つで親子の団欒をして頂きたい、というお話です。
金額も一定の基準を作っていました。
幼稚園では、お年玉をあげません。意味も価値も分かりませんから。
小学一年から千円、三年生で３千円と、毎年千円ずつアップします。
大昔のお年玉は、丸く玉にした『お餅』だったそうです。いつの頃からか現金になったようです。
そう言えば年越し資金を、『餅代』と称している世界もあるようです。遺 言
&amp;nbsp;
最後に遺言の話しをします。いわば『遺言の勧め』です。
遺言と聞きますと相続を思い浮かべますが、実は遺言とは『遺す言葉』なのだそうです。
子供達に『自分はこういう生き方をしてきた。お前達も他人様に後ろ指を指されるようなことだけはするな』などの言葉を書き残したのだそうです。
その後、遺産のことなどを付け加えられて遺言書になったのでしょうか。
世の中には毎年、正月に遺言を書き直す人も居ます。
お子様たちへ『遺す言葉』を、正月に書き直すのもいいでしょう。
これも正月休みが一つのいい機会だ、というお話です。


昨年はこの席で　　『朝ごとに向かう御文(みふみ)を鏡とし　櫛削らばや乱れ心を』という句について申し上げました。これも『一年中、毎日毎日自分を振り返るわけにはいかない。年に一度、自分を振り返るのに、正月はいい機会だ』というお話でした。明日から短い休暇ですが、この時間をいい節目にして、皆さん自身の来し方、行く末を考えてみるのも意義のあることかと思います。いいお正月を迎えられ、また元気でお会いしましょう。一年間、本当にご苦労さまでした！

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<pubDate>Fri, 16 Jan 2009 10:55:00 +0900</pubDate>
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<title>新年ごあいさつ</title>
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渕上印刷賀状　デザイン・スタッフの弁丑が干支。デザインにBULLの字句を入れ、2009もあしらった。元気のいい色でエネルギッシュな黄色の背景に、金赤が映える。ちょっとレトロに、懐かしさとシンプル、かつモダンさを現した。英語で丑年は『The Year of Ox』。敢えてOxとせずにBULLとしたのにはワケがある。景気の良い株式市場のことを『Bull Market』という。投資家の証券市場に対する信頼や楽観論が市場全体で感じられる状況のこと。形容詞のBullishは、楽観的な、頑固な、雄牛のような、(相場が)上昇傾向の、という意味に使われる。BULLには勢いがある。不景気ムードの今こそ、『ネガティブムードに立ち向かい、元気に行きましょう！渕上印刷は闘牛のごとく、新年も張り切って参ります』、こういう気持ちを込めた。

年賀状雑感年賀状への思いは、人さまざまだ。一切出さないことにしているという方もおられる。元旦よりも前の、年内には投函しない、という方も知っている。子供の頃、大人がやり取りしている賀状というものを、出してみたくて仕方がなかった。社会人になってすぐ、出すようにした。大人になった気がした。本来の賀状はどうあるべきか。年が明けてからではなく年内に、その年お世話になったご挨拶を申し上げてもいいのではないか、などと試行錯誤もした。日ごろは、ご無沙汰ばかりになる。その方々への近況報告には、年賀状がいいツールになってくれる。肉筆で書くのが丁寧だとは思うが、どうにも手では書けない。本文から宛名印刷まで、文明の利器、パソコンに助けられている。本年もよろしくお願いいたします。
賀状の変遷【渕上印刷】【私　用】</description>
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<pubDate>Thu, 08 Jan 2009 08:55:00 +0900</pubDate>
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<title>有難う「篤姫」・・・☆</title>
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有難う「篤姫」・・・大河ドラマ「篤姫」が終わった。日曜ごとの楽しみにしていた放送がなくなり、生きる希望が薄れた驚異的な高視聴率が、ＮＨＫ以外でもニュースになる。
危機的な世知辛い（せちがらい）世相。金融危機にとどまらず、解雇された。親が子を、子が親を殺した。はたまた頼みの祖国の指導者、総理が突如として居なくなる・・・！
ドラマの面白さもさることながら視聴率が高かったのは、世知辛い現実から、ホッとする世界に連れて行ってくれる「篤姫」に、国民を引き寄せたからに違いない。突如として、颯爽と登場した篤姫のお蔭で鹿児島県民の自信も高まり、鼻が高い。有難う「篤姫」・・・「リュウさん通信」も１年前に終わった・・・実は、終わったのでなく、休眠していたスリープの言い訳を挙げれば、いくつかある。パソコンの前に座るのが苦痛。眼が、指が痛い。ネタを思い出せない。・・・みんな、年齢のせいだ。

もう一つ言い訳。印刷業界の全国大会を鹿児島に誘致し、その準備にかかわっていた。全国から５００名の方々にお越し頂き、１０月中旬、なんとか無事に終了した。あと一押しで後片付けも終わる。「リュウさん通信」再開を決意。老骨に鞭打ちコツコツと続けてゆきたい。ご一読、ご批判のほど、願いたてまつります。

印刷業界の全国大会
その、全国大会のこと。&amp;nbsp;大会はいわば全国規模の研修会。印刷の業界はそれまでの四年間、業態変革『推進』プランという業界計画を進めてきた。これを次の段階へ進める業態変革『実践』プランを、鹿児島でキックオフした。我々はホストとして全国からの皆さんを歓迎し、お迎えする立場。知事さん、市長さんもご挨拶の中で鹿児島を紹介なさる。ホストの歓迎挨拶が同じ内容や語句では申し訳ない。稚拙ながら、少し違う観点でお国自慢をさせて頂いたプログラム掲載挨拶−中略−　本物、鹿児島県。ノン・フイクション、鹿児島県。開催地鹿児島は歴史や風土とともに、新鮮で安心・安全な食材をワンストップでご提供できる土地柄としても知られています。火山の恵みもございます。火山活動のお蔭で地下のさまざまな元素、ミネラルが地表へ運ばれます。純度の高い金。採算のとれる国内金鉱四つ全てが鹿児島です。市電に芝生。軌道敷周辺温度が最大２４度低下、騒音激減も果たします。芝生敷石はシラスが素材などなど、豊富な温泉はもとより、火山は多くの恵みと潤いを与えてくれます。これまでに蓄えた業態変革推進プランというマグマを、この地で実践に噴火され、斯界に恵みと潤いを与えてくださいますよう祈念申しあげます。

※「かご電」詳細は、地域ブランディング情報誌「リージョン」１1号をご覧ください。

▲デジタルブックで閲覧できます。
大会開会挨拶−中略−　お国自慢、鹿児島のご紹介もさせて頂きます。『火山の恵み』につきましては、お手許のプログラムで触れさせて頂きました。このほか、鹿児島の多くの観光や物産につきましては、お配りした『印刷物』でご紹介申し上げております。のちほど、ゆっくりお目とおしください。ここでは『宇宙に近い鹿児島』について申しあげます。鹿児島では、すぐあそこで北斗七星が輝きます。島津重豪（しげひで）公の時代に明時館という天文観測所が設けられ、薩摩ごよみの制作に至っております。いま、天体観測は電波望遠鏡。その望遠鏡は三箇所から観測すると威力が倍加するそうでございます。三箇所は関東とハワイ。もう一つは、ここ鹿児島の入来峠にございます。来年の皆既日食が国内で最も長く観察できる場所は、鹿児島でございます。大宇宙に発射されます国内ロケット基地、二つとも鹿児島にございます。発射台で待機しております業態変革推進プラン、この地で実践に点火され、大空に飛び立って頂ければ、と祈念申しあげる次第です。懇親会開会挨拶−中略−　え〜、若干、お国自慢をさせて頂きます。プログラムでは火山の恵み、お昼の式典では宇宙に近い鹿児島に触れさせて頂きました。『宇宙が近い』・・・、そうは申しましても宇宙はとても遠くにございます。実は、皆さんのすぐ近くに宇宙がございます。ただし小さな宇宙、『小宇宙』でございます。重豪公が天文館に明時館を造ったお話を式典で申しあげました。鹿児島に天文館という地名はございません。天文観測の明時館を別名、天文館とも呼んだのが名の由来のようでございます。いま当時の観測所一帯は、繁華街天文館として知られております。そこは今も小宇宙でございます。小宇宙、しょう・うちゅう、しょう・ちゅう、焼酎・・・。今宵は、このホールも『小宇宙』でございます。そして、のちほど小宇宙、天文館にもお運びを頂きまして、思いっ切り散財くださいますよう、県民を代表してお願いを申しあげます。</description>
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<pubDate>Fri, 26 Dec 2008 13:56:00 +0900</pubDate>
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<title>複製違法行為、始末記</title>
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世の中、個人情報保護が、かまびすしい。あまりの過剰反応に、皮肉の一つも言いたくなる。サウナでコーヒーを飲んだ。代金精算のために、聞かれる。ロッカーは何番でしょうか？　「教えない。個人情報だから」。スナック・バーで、飲み物の種類を聞かれた。「言えない。ナニを飲むか、それは僕の個人情報だ」。・・・サウナやスナックに非はない。ま、しかし、保護すべき個人情報は守られなければならない。ところで、これほど個人情報保護が叫ばれる前に、ひとしきり知的所有権保護が喧伝された。我が社も、その侵害に遭遇したことがある。３０年以上前の話だ。当社が納入していた印刷物を同業他社が複製し、若干の修正を加えて別の客先に納めていた、というものである。２〜３年、複製され続けていたことに気付かなかった。ほんの少し、著作権法をかじっていた自分は、いきり立った。時には平気で婦人雑誌を切り抜いて、ファッション・モデルをそのまま「服飾ちらし」に転用してしまう印刷業者が国内には実際に居た。出版者から訴えられ、何千万円も支払わされた事例もあった。中小印刷会社なら、潰れてしまう。違法な複製行為を止めさせよう。まずは話し合いのために、その業者トップにお会いした。「文章部分は自分が作った。写真も我が社のカメラマンが撮影した。版権は発注者にある。お宅とお宅の客先は、それを無断で使っている。無断流用を言い換えれば、手塩にかけて育てた子を誘拐されたようなもの。即刻止めて欲しい」。確かに文案は自分で考えた。正月休みを使ってまで、ない頭をひねって作った。客先に提案したら、ことのほか喜ばれ採用して頂けた。悔しくもあった。苦労して作ったものを、苦労しない者が無断借用して利益を得る。このことが知的所有権を保護するゆえんだ。ところが意外にも、そのトップはこうおっしゃる。「自分は大学を出てないから、六法全書は分からない」。「分からなくていいです。世の中の決め事を文章にしたものが法律でしょ？」。のらり、くらり。その日は相手に逃げられた。半月経っても反応がない。相前後して発注者にも通報していた。訴訟を控え、版権（出版権）者の同意が要る。「お宅から受注している、この印刷物が他社に複製されている。場合によっては訴訟に持ち込むかもしれない。ついてはこの文書にサインを頂きたい」。文書は「当方に版権があり、渕上印刷に版の所有権がある。今後も複製を続けるなら、司直の手に委ねますぞよ」。そういう内容だった。その時、客先の担当者に言われた。半分からかわれたのだろう。「複製したものの方が、渕上さんが納めてくれたのよりもキレイだネ」。違法複製した業者に内容証明郵便を送った。「著作権侵害行為を続けるならば、訴訟も辞さない」などの文言を添えた。経過は逐一、上司に報告していた。疑心暗鬼で成り行きを見守っていた。我が社のトップは訴訟沙汰までは同意していなかったようだ。業界団体の長として、同業者同士で事を荒立てたくない、そういう気持ちもあっただろう。相手が白旗を挙げないことに業を煮やし、当社のトップは「これくらいで撤退しろ。これで負けたら、お前は業界に居られなくなるぞ！」とまで言われた。「このまま、ほっておけない問題です！」。若造とトップは、やりあった。その翌日、別ルートで相手側から詫びが入ったことを知らされる。やった〜！☆和解金を支払い、複製した原版を渕上印刷に引き渡すという。このことがあって、暫くが経った。渕上印刷野球部のグローブが、全て新調されていた。・・・個人情報保護や知的所有権のことでは、まだのどかな時代でもあった。&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;市営鴨池グラウンドにて（昭50年頃。現鴨池ドーム。背を向ける側、渕上印刷チーム）。&amp;nbsp;印刷団地グラウンド。現在の浜島印刷さん駐車場付近。（昭50年頃か。当時の印刷団地ではコート４面が充分とれた）。&amp;nbsp;&amp;nbsp;※写真と記事は関係ありません。&amp;nbsp;</description>
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<pubDate>Fri, 22 Feb 2008 09:00:00 +0900</pubDate>
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<title>「リュウさん通信」Potikaで開設。</title>
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鹿児島ブログポータル「Potika」のオープンに伴い、「リュウさん通信」はこちらに移行してまいりました。初めてご覧になる方は、過去の記事を掲載しておりますのでぜひご覧ください。また以前のブログサイトでご覧いただいていた方々、今後ともぜひご愛読ください。</description>
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<pubDate>Mon, 03 Dec 2007 09:30:00 +0900</pubDate>
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