また旅道中膝栗毛

オープンカー

ついにオープンカーを手に入れた。トヨタのレクサス(LEXUS)もいいが、ミヤタのネクサス(NEXUS)にした。
シートベルト装備なし、一方通行路の逆走可能。ライトは暗くなると勝手に点灯するスグレモノ。
昨年暮れ、マンションに移転した。
こういう所は一戸に一台分しか駐車スペースを提供しない。その一台分を相棒に譲り、片道15分の自転車通勤を一大発起。

自転車店のご主人が「20分を越えてから有酸素運動効果が始まる」と教えてくれた。
なにくそ!  15分でも往復で30分、10日で300分だ!☆


東海道中膝栗毛

リュウさん通信、テーマはユーモア

ネタ探しもあり、ユーモア、ユーモア、ユーモアと思いを巡らす日常を過ごすと、つい「ユーモア」の字句が目についてしまう。
「東海道中膝栗毛」もそうだった。

もともと、ユーモアとは駄洒落やジョークではない筈だと思っていて、求道者の如く、ユーモアの原点は一体なんぞや、と思い続けてきた。
そうした時には、いつも「東海道中膝栗毛」に登場する弥次さん喜多さんの言動がユーモアではない筈だ、と思っていた。しかし世間は、あれをユーモアだと定義するだろう、と気になっていた。
改めてこの書籍について、どう評されているかを知りたい。おそらく、ユーモアの字句が出てくるだろう。

「膝栗毛」は、江戸時代後期の戯作者、十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)の力作、代表作。

ご存知、弥次郎兵衛と喜多八が伊勢詣でを思い立ち、数々の失敗や滑稽を繰り返しながら東海道を江戸から京・大阪まで旅する様子を描いたもの。

インターネットで書籍紹介をみた。
そこには「笑いとユーモアが満ち溢れています」とある。

あ〜、やっぱり。

時代は未だ公器と認めていないものの、インターネットは準公器。
たかが「リュウさん通信」とはいえ、公器にいい加減なことを掲載できない。
出典を明確にするため「東海道中膝栗毛」を自腹で買った。
岩波文庫黄表紙の(上)と(下)。本体価格700円、二冊で1,400円。
問題は、こうした費用の発生があっても「リュウさん通信」の 執筆ギャラはゼロであることだ。

そこで「青少年の主張」

こういう弥次・喜多の言動を「ユーモア」の範疇に入れて欲しくない

ユーモアは「悩みや苦しみのさ中に、みられる」とのデーケン教授にも申し訳ない。
文学には人間の生き方が表現される、と中学生の頃、聞いていた。
弥次・喜多が企画する自分のお葬式は、棺桶に花火を仕込み、遺体と共に空に舞い上がるという、ふざけたものらしい。

その点で「膝栗毛」は文学とは言えないし、弥次・喜多のこうした生き方はユーモアではない。 あの死に方を、死の哲学の世界的な権威、デーケン教授は大いに嘆かれるだろう。


 
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