ということで、先週からリュウさん通信と銘打ったブログもどきが始まった。
今日は 自己紹介 。
次回はカテゴリー選定理由などを書き、さ来週から本番入り。
画面左のプロフィールから、まず、名前について。
柳正保として生まれた。もの心も付かない2歳前後、実母の妹、子の居ない叔母夫妻に貰われた。養子縁組みである。終戦前夜の昭和19年、銀座の裏通りで育てられた。敗戦の混乱、養父逝去などから返却され、新潟で小学校へ入学。
籍を柳に戻す小二くらいまで、都合5〜6年は「横田正保」だった。
「リュウさん」と言われ出したのは高校の頃だったと思う。 過日、中国、桂林でパスポートを見せたら、柳正保を「リョ〜、ツン、パ〜」と読まれた。 これも、たまには使う。
ちょうど20年間、雅仁(まさひと)を下の名に使った。
姓名判断に凝ったお婆ちゃんの薦めである。
使わなければご利益(ごりやく)がないという。名刺や銀行口座にも表示した。その後、運用停止。雅仁から、社会的な「正保復帰」に三年を要した。
「正保が戸籍名で、雅仁は芸名でした」。その都度、説明申しあげた。「本名が正保で、戒名(かいみょう)が雅仁やろ!?」と口の悪い友人にからかわれた。
生まれは雪の新潟、 豪雪地帯。
温暖化か、いまは2メートルとのことだが、あの頃は4メートル近く積もった。松之山は「村」だった。合併で町になったのは中学生。山深い村落暮らしの身には、村が町になって嬉しかった。
日進印刷中野専務、南日本放送の田辺令吉氏、前市立病院歯科部長、現増田歯科増田院長、おしゃべり塾の春田尚子氏、ほかも同郷。
名古屋は定時制高校、即ち夜間、4年制。勉学を極めたく、6年かけて卒業した。
東京は中野、昼の短期大学。写真の専門校。
身分は学生、本業はアルバイト、 学業は二の次の日々。
足立区の大昭和製紙系印刷会社2年弱を経て
渕上印刷入社。
鹿児島在住38年。石はまだだが墓地は入手済み。
言い換えれば、ここに
「骨を埋める」。
「余暇」と表示したのは、全うに「趣味」と言えるものを持たないテレ。
サウナ・水風呂・温泉、山麓歩き。山登りではなく、山の麓(ふもと)散策である。
上高地が好きだ。
子に恵まれたが孫はゼロ。
いまは子より、孫が欲しい。
スタンス「楽しく、貧しく、美しく」の「貧しく」は、よく言えば「清貧に甘んじたい」の意。現実は生涯貧乏。
「楽しく」だけを実践中
。肌が「美しい」のは、一年中欠かさぬ早朝風呂に拠る
ゴルフは右肩上がりにならず、生涯初心者。
獲得賞金は参加賞まで計上。

