「お嬢さん、お好きな色がないのですか?」
リュウさん通信のテーマはユーモア。
これまで求道者のごとく、ユーモアの定義、あるいは原点を追い求め、捜し続けてきた。
上智大学、アルフォンス・デーケン教授の「真のユーモアは、悩みや苦しみのさ中にみられることが多い」に答を見出した。
そして、教授がいうユーモアは映画の世界でも観ることができる、とばかりに「ライフ・イズ・ビューテフル」や「蝉しぐれ」にそれをみた。
これらは、「悩みや苦しみのさ中」状態を、絶望と死が支配するナチ収容所や、父親の無念の処刑前後など、生きるか死ぬか、生命にかかわる場面で採りあげた。
ちょっと行き過ぎ、極端過ぎはしないか。
人間、そうそう、頻繁に生死の境に置かれることはない。
置かれる状態を作ってはならない。
それらまでをユーモアと言うならば、キリスト教徒は言うだろう。
「人間にとって最も大切なものは何か。それは自分の命だ。イエスは自分を人類の平和のために進んで捧げられた」と。
「これこそ極限のユーモア、愛だ」と言う筈だ。
人々にはむしろ、日常生活の中に「悩みや苦しみのさ中」がある筈だ。
そこにこそユーモアが発揮されるべきだ。
悟りを開いた・・・☆ 免許皆伝・・・!☆
そこで、ものすごく気に入っているエピソード、 これこそ「悩みや苦しみのさ中」に発揮されたユーモアだと言える 「お嬢さん、お好きな色がないのですか」を思い出す。
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信号待ちの交差点でクルマが故障、
アカ、アオ、キイロが繰り返しても発進しない。 うしろのクルマはピー、ピー、ピー、ピー、ブーイング。 交通警官には怒鳴られ、運転者はオロオロして、ますますあがる。 日本ではさしずめ、こんな光景だろう。 パリの交差点でエンストのマドモアゼルが立ち往生。 |
知りうるユーモアでこれに勝るものはない。
慌てかつ困り果てた交差点の女性は、即ち「悩みや苦しみのさ中」。
そこに警官がいきなり「お好きな色がないのですか」は、
まさしくユーモアそのもので大好きなエピソードである。
そして、鹿児島びとの豊かなユーモア・センスに改めて感服。
| 桜島降灰の激しい頃、挨拶代わりに「よかもんが降ぃもんそな〜」と交わした。 ←桜島の「よかもん」 |
これだって充分に「悩みや苦しみのさ中」のユーモアではないのか。
「厄介なものが降ってきますね〜」の挨拶では、お互いが落ち込んでしまう。
大上段に構えることなく、ごくごく普通の「悩みや苦しみのさ中」に、ユーモアが添えられれば、それでいいのだ。
おととし10月上海。古い歴史を持つ繁華街「外灘(わいたん)」。
大交差点ながら信号機はなく、失業対策事業として民間人が交代で交通整理にあたっている。


