2009年02月27日

写真処理:愛甲理一朗
| 実がついたら、透明ガラスを箱にして囲んでおく。 成長の行く手をガラスがはばみ、ついには四角いスイカができあがる。 枠にはめ、伸びる芽を押し止めた西瓜はいただけない。胡瓜は細長く、西瓜はまぁるいのがいい。 日本はアメリカを追いかけてさえいれば成長でき、独創性はあまり必要なかった。いつの間にかトップを走るようになり、前に誰もいない。いまこそクリエーティブな日本人が必要だ、と言われだして久しい。 四角なスイカ、カタにはまった創造力乏しい人材をつくらないためには、その人の特長を周囲がよく伸ばしてあげることだと思う。 伸ばすためには前向き、肯定的に対処し、あれはダメ、これもダメと否定、やる前から「どうせ駄目だろう」のマイナス志向な周囲では、四角なスイカができあがるということだろう。 子育てや人づくりで、次の話は楽しくうれしい。 ミミズをみつけた男の子がどこまで這っていくのかと夢中で、始業ベルが鳴っても校庭から動かない。 「無理やり教室に連れてきたくない。その子に、ミミズがどこまで行くのか見届けさせてやりたい」と、小二二女の担任はおっしゃる。 この教師は、スイカを四角にしたくないと努力しておられる。 四番目の子、二男の幼稚園ではモンテッソーリ教育を取り入れている。食事も入浴もこどもの生活は、すべて「遊び」だ。教材との遊びに熱中する中から、個性の 芽を引き出す教育方法だという。一斉に同じ遊戯をさせたり、はみでたこどもを叱ったりしない。四角なスイカをつくろうとしていない。 冒頭の方法で四角なスイカがつくれるかどうか、試していない。 あのやり方だと、スイカは四角になる前にクサッてしまうだろう。 (南日本新聞夕刊、平成1年12月6日) |
南日本新聞の夕刊が、2月末をもって廃止となる。
残念だが、このところの世情では止むを得まい。
夕刊にはエッセー・コラム「思うこと」がある。
週1ペースで一人10本。1クルー、購読者6人が執筆。
自分も書かせて頂いた。
このコーナーは随筆の場だ。
夕刊はその日の疲れを癒し、くつろいだ時刻に読む。堅苦しい内容は避けた方がいい。
しかし、ついつい構えてしまい、緊張この上ない。
「言語明瞭意味不明瞭」なものばかり送稿した


中には気に入ったものもある。
今日はその中から、「四角なスイカのつくりかた」。
Trackback URL: ボットからトラックバックURLを保護しています
2009年02月19日
数年前から、我が社の玄関に異様な物が鎮座ましましている。
「異様な物」とは謙遜で、見るたびにほくそ笑み、悦に入っている。
我が人生、生涯最初で最後、最良の出来栄えだからだ。
玄関モニュメント、名づけて「偉業の未完」。
木彫り師、柴田博文氏に制作を依頼した。
福岡県糸島郡。博多駅から電車で佐賀方向に向かい、無人駅で降りる。駅から車で十数分。氏の工房は田園の中、なだらかな丘の中腹にある。
渕上印刷は拠点を鹿児島に置く。屋久杉を素材に彫って頂こうと思った。
「屋久材は硬くて彫りにくい。原木も高い。自分は制作に、楠しか用いない」とおっしゃる。
なるほど工房には楠で制作中の作品で溢れている。
幼稚園が依頼元らしい動物の彫り物。楠だからこそ子供たちに「木のぬくもり」が伝わることだろう。
印刷会社の玄関らしく活字をモチーフにし、「こうこう、こんな風に造って欲しい」とお願いした。
木を彫るのである。簡単にやり直しは利かない。
意図した通りの仕上がりで届き、ものすごく嬉しかった・・・


素材は「鹿児島県の木」楠。地域密着企業をめざす。
来社頂いた方に、聞かれもしないのに説明申しあげる。
「未完成に見える完成品です。」企業に完成はない。
直前号のリュウさん通信、朝日新聞1月9日号は、金属活字を完成させた木村嘉平の『偉業』が、日の目をみなかったことを『未完』とした。
このモニュメントには印刷人として顕彰の意も込めたが、嘉平の偉業を前に、怖れ多い気もする。
羅針盤、火薬とともに「活版印刷」は世界の三大発明。
全日本印刷工業組合連合会では9月3日を「印刷の日」としてきた。
この時代、国内各地で金属活字鋳造への挑戦がなされたが、いずれも事業化に至らなかった。
平成10年、尚古集成館所蔵の「木村嘉平関係資料」が、国の重要文化財に指定される。
実用化されなかったが故に散逸せず、散逸しなかったが故に重文指定となった。
金属活字が日本で一番早く、薩摩藩で完成していたことは、郷土鹿児島はもちろん、印刷業界にとっても大きな誇りだ。
もしも、完成前後の斉彬逝去なかりせば、嘉平活字が実用化されたはずだ。
そして斉彬か嘉平ゆかりの日が「印刷の日」になっていたであろう。
今年は、島津斉彬公生誕200年である。

「異様な物」とは謙遜で、見るたびにほくそ笑み、悦に入っている。

我が人生、生涯最初で最後、最良の出来栄えだからだ。
玄関モニュメント、名づけて「偉業の未完」。
木彫り師、柴田博文氏に制作を依頼した。
福岡県糸島郡。博多駅から電車で佐賀方向に向かい、無人駅で降りる。駅から車で十数分。氏の工房は田園の中、なだらかな丘の中腹にある。
渕上印刷は拠点を鹿児島に置く。屋久杉を素材に彫って頂こうと思った。
「屋久材は硬くて彫りにくい。原木も高い。自分は制作に、楠しか用いない」とおっしゃる。
なるほど工房には楠で制作中の作品で溢れている。
幼稚園が依頼元らしい動物の彫り物。楠だからこそ子供たちに「木のぬくもり」が伝わることだろう。
印刷会社の玄関らしく活字をモチーフにし、「こうこう、こんな風に造って欲しい」とお願いした。
木を彫るのである。簡単にやり直しは利かない。
意図した通りの仕上がりで届き、ものすごく嬉しかった・・・



素材は「鹿児島県の木」楠。地域密着企業をめざす。
来社頂いた方に、聞かれもしないのに説明申しあげる。
「未完成に見える完成品です。」企業に完成はない。
直前号のリュウさん通信、朝日新聞1月9日号は、金属活字を完成させた木村嘉平の『偉業』が、日の目をみなかったことを『未完』とした。
このモニュメントには印刷人として顕彰の意も込めたが、嘉平の偉業を前に、怖れ多い気もする。
羅針盤、火薬とともに「活版印刷」は世界の三大発明。
全日本印刷工業組合連合会では9月3日を「印刷の日」としてきた。
その日は日本近代印刷術の始祖である本木昌造の命日だ。 長崎製鉄所頭取でもあった翁は明治2(1869)年、上海の活版技師ウィリアム・ガンブルを長崎に招き、電気分解法による母型製作や活字鋳造の指導を受けた。 翌明治3(1870)年、長崎に新街活版製造所を創設、活版印刷の工業化を果たし、惜しげもなく各地へ広めた。 | ![]() |
この時代、国内各地で金属活字鋳造への挑戦がなされたが、いずれも事業化に至らなかった。
![]() | 薩摩藩でも藩主島津斉彬が江戸の木版職人、三代目木村嘉平に命じて鉛製鋳造活字を作らせていた。 藩士教育が斉彬の狙いだった。 命を受けた嘉平は晩年、失明してまでこの偉業を成し遂げた。完成に11年かかったという。 嘉平が独力で鋳造を完了したのは元治元(1864)年、斉彬逝去に相前後した。 長崎の本木活字完成は嘉平活字完成の6年後。 薩摩藩が6年早い。 |
平成10年、尚古集成館所蔵の「木村嘉平関係資料」が、国の重要文化財に指定される。
実用化されなかったが故に散逸せず、散逸しなかったが故に重文指定となった。
金属活字が日本で一番早く、薩摩藩で完成していたことは、郷土鹿児島はもちろん、印刷業界にとっても大きな誇りだ。
もしも、完成前後の斉彬逝去なかりせば、嘉平活字が実用化されたはずだ。
そして斉彬か嘉平ゆかりの日が「印刷の日」になっていたであろう。
今年は、島津斉彬公生誕200年である。

Trackback URL: ボットからトラックバックURLを保護しています




