みてきた中国:「人民こそ主人公」2の1

鹿児島からも上海定期便が開設され、三年前に北京・上海に初めて行った。

「自分も生活が苦しいのに、敵国日本の子女をかくまい、育ててくれた」。
このことだけで中国国民のイメージが自分にとっては、すこぶるいい。
「そのこと」、「そのもの」の持つ情報の量によって、人の受け止め方は違うものだ。
子どもや家族を大事にする。遠い昔から、そういう国民性を中国人は持っていると、今も思い込んでいる。

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その中国に25年前(昭和57年)にも行ったことがある。
大陸の南、桂林や広州だった。
この写真の子どもたちが当時5歳だとすると、いま30歳だ。
帰国から数年後、20年ほど前にエッセーを書かせて頂いた。
南日本新聞夕刊企画、「思うこと」欄。執筆者一人が10本を書く。その中の、題して「山々の形」。駄文であっても自分には好きな短文。
久々の「リュウさん通信」、書くにこと欠いて今日はそれを引用する。
その頃も今も、稚拙な文章力、感覚の幼稚さは変わらない

「ほんの入り口だけだったが、中国に行ってきたのは七年前。
生まれはミッドウエー海戦の年。大陸の従軍や引き揚げという経験は勿論ない。従って中国に『郷愁』があるはずもなく、旅の予備知識にと日中合作映画『未完の対局』を観た程度で発った」。

「中国はすばらしかった。
『二度と行きたくない。設備が悪く食事がまずい』と言う人もいる。
空腹は最大の調味料。生温かい麦酒(ぴ〜ちゅう)もないよりまし。
餓死しなければいい。こう思い込ませるほど、桂林にほれた」。
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「感動とは新しい体験。行けども尽きぬ壮大な奇勝。
あれもやはり『山』と呼ぶのだろうか。
ニョキッと突っ立っているだけでなく、幾重にも重なる。何ともすばらしい山水画の世界」。
再見(つぁいちぇん)。
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