散文詩「讃・60歳」

六十路(むそじ)の、60歳になったら・・・♪
映画館に千円で入れる!☆
60歳になったら・・・♪
その気になれば年金が受け取れる!☆
泉重千代翁は120歳まで生きた。
60歳になったら・・・♪
折り返し点を迎える!☆
60歳になったら・・・♪
JR九州のマイ・ウェイ・クラブに入れる!☆

(講評・・・「詩」と言えるシロモノではありません)

・・・知らなかった。
JR九州のマイ・ウェイ・クラブに入会すると九州新幹線が3割引で乗れる!
10万円のところは7万円でいい計算!☆
JR九州線の新幹線以外なら、な、なんと4割引!
100万円分は60万円でいい!☆
年会費千円。
知らないまま、六十路半ば・・・!
先月入会した。機会損失、4年!

高崎山に学ぶ
大分市、瀬戸内海国立公園の高崎山。
中世には山頂に大友氏の城が築かれていたという。
山麓の万寿寺別院境内には、高崎山山中から野生のサルが集まって来る。
A、B、C群のチームが居るそうで、最大時2128頭を数えたと、「高崎山の概要」にある。最近、内紛のせいかA群は瓦解したとのこと。
ずいぶん昔、行ったことはある。何故か、血が騒ぐ。 空き時間に行ってきた。

入場料300円。
大分市の係官が分かり易く説明してくれる。
えっ!と思ったのは「毛づくろい」
てっきり、あの仕草はノミを取り合っているのだとばかり思っていた。
「(ここの)サルにノミは居ません。何故なら天敵を避け、夜はああして木の上で寝るからです。毛づくろいは親が子と、子が親と、あるいは身内同士、ヒマさえあれば、ああしてコミュニケーションをしているのです」。
「サル達の生活拠点は目の前の山中、野犬などの天敵に狙われます。ここの広場はサル達にとって危険もない、オヤツも出る憩いの場、リクレーション広場なのです」。

業界の会合が大分市で開かれた。
JR九州マイ・ウェイ・クラブで3割引、4割引のお世話を受けながら鹿児島から参加した。
沖縄・九州各県持ち回り、当番制で開催される。
本番前日はオプションでゴルフ会もあり、夜は懇親会が恒例だ。
前夜、ホスト県大分の歓迎挨拶では、温泉、関アジ、関サバ。はたまたフグ城下カレイなどの、お国自慢もあった。
翌日朝からの会議開会。 開会や閉会の挨拶を、わざわざ別の者がせずとも、司会者の「開会します、閉会です」で済むことだ・・・。

 

「開会の挨拶」をさせられた。
挨拶原稿はもちろん、ギャラもない!
「大分の皆さんには、たいへんなご労苦をお掛けして開催することが出来ました。有難うございます、云々」。
「昨夜の歓迎挨拶で、大分の理事長さんが言われませんでしたので、私からもう一つ、大分自慢を申しあげます。高崎山自然公園のことでございます。
行ってみますと、あのサルが3番、こっちが6番、向こうが2番だと説明してくれます」。
「私が知りたかったのは、何故あれだけの集団が仲良く、かつ統制がとれているのか。 昇格のためには、どういう資格や素養が必要なのか。 やはり腕力なのか、でした。
ガイドさんに質問したところ、 それは、なんと、人格と年功だそうです。力で地位を手に入れるのではないのだそうです」
と、聞きかじりの受け売りを始めた。

やはりそこでも目標面接やコンピテンシー評価を採り入れているのだ・・・☆
「古い順に順位が決まる。
群れに長く居るためには人格も備わっていなければならない。
仲間を思いやり、周りから慕われる人柄でなければ居れなくなるのだそうでございます」。
腕力ではなく人徳だ・・・。
力で得た地位は、力で引きずり降ろされる。

「ここ開催地大分県が良くまとまっているのは、
理事長さんの卓越した指導力、会員を思いやるお人柄の賜物であると申しあげたいのであります。・・・
それぞれの持ち場に帰れば、野犬や天敵が待ち構えております。
この会場は、あの境内のようにホッとする場、情報交換の広場であります。
どうか皆さん、本日は高崎山の集団経営にも思いを馳せ、実のある会合にしてくださいますようお願いを申しあげまして、開会の挨拶とさせて頂きます」。


 
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パリのマドモアゼル

「お嬢さん、お好きな色がないのですか?」

リュウさん通信のテーマはユーモア
これまで求道者のごとく、ユーモアの定義、あるいは原点を追い求め、捜し続けてきた。
上智大学、アルフォンス・デーケン教授の「真のユーモアは、悩みや苦しみのさ中にみられることが多い」に答を見出した。
そして、教授がいうユーモアは映画の世界でも観ることができる、とばかりに「ライフ・イズ・ビューテフル」や「蝉しぐれ」にそれをみた。
これらは、「悩みや苦しみのさ中」状態を、絶望と死が支配するナチ収容所や、父親の無念の処刑前後など、生きるか死ぬか、生命にかかわる場面で採りあげた。

ちょっと行き過ぎ、極端過ぎはしないか。
人間、そうそう、頻繁に生死の境に置かれることはない。
置かれる状態を作ってはならない。
それらまでをユーモアと言うならば、キリスト教徒は言うだろう。
「人間にとって最も大切なものは何か。それは自分の命だ。イエスは自分を人類の平和のために進んで捧げられた」と。
「これこそ極限のユーモア、愛だ」と言う筈だ。
人々にはむしろ、日常生活の中に「悩みや苦しみのさ中」がある筈だ。
そこにこそユーモアが発揮されるべきだ。
悟りを開いた・・・☆ 免許皆伝・・・!☆

そこで、ものすごく気に入っているエピソード、 これこそ「悩みや苦しみのさ中」に発揮されたユーモアだと言える 「お嬢さん、お好きな色がないのですか」を思い出す。

信号待ちの交差点でクルマが故障、 アカ、アオ、キイロが繰り返しても発進しない。
うしろのクルマはピー、ピー、ピー、ピー、ブーイング
交通警官には怒鳴られ、運転者はオロオロして、ますますあがる。
日本ではさしずめ、こんな光景だろう。

パリの交差点でエンストのマドモアゼルが立ち往生。
信号が変わっても動かない。
スマートな警官が言った。

「お嬢さん、お好きな色がないのですか」

知りうるユーモアでこれに勝るものはない。
慌てかつ困り果てた交差点の女性は、即ち「悩みや苦しみのさ中」。
そこに警官がいきなり「お好きな色がないのですか」は、 まさしくユーモアそのもので大好きなエピソードである。

そして、鹿児島びとの豊かなユーモア・センスに改めて感服。

070323sakurajima.jpg
桜島降灰の激しい頃、挨拶代わりに「よかもんが降ぃもんそな〜」と交わした。

←桜島の「よかもん」


これだって充分に「悩みや苦しみのさ中」のユーモアではないのか。
「厄介なものが降ってきますね〜」の挨拶では、お互いが落ち込んでしまう。
大上段に構えることなく、ごくごく普通の「悩みや苦しみのさ中」に、ユーモアが添えられれば、それでいいのだ。

070323shanghai.jpgおととし10月上海。古い歴史を持つ繁華街「外灘(わいたん)」。
大交差点ながら信号機はなく、失業対策事業として民間人が交代で交通整理にあたっている。


 
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