今年は辰年、リュウの年。
写真に「長い髪の乙女」 と名付けたが、「踊る龍」に見えなくもない。
昨年はウサギ年。兎に因んだ話題は多い。
「ウサギは競争相手のカメを見ていた。カメはウサギに目もくれず、頂上という目標だけを見ていた」。
兎といえば、この歌もある。曲名は「ふるさと」。
♪兎追ひし かの山~
♪小鮒釣~りし かの川~
この曲ほど美しくはないが、「忘れがたき」田舎が自分にもある。
新潟県東頚城郡松之山町。合併が進んで今は十日町市。
山深く野鳥の宝庫で秘湯の里。そこで小・中学生を過ごした。
峠一つ越えると信濃川。平野が広がるコシヒカリの本場、南魚沼。
交通不便だからこそ「秘湯」に為り得た松之山温泉。泉質はすこぶる、いい。
そこで日本野鳥学界開催。研究会は野鳥の多い地で開く、それくらい山奥だ。
我が「ふるさと」には山兎も川魚も、赤とんぼも居た。
だが、兎を追い小鮒を釣ったことはない。
足の速い兎は、追いかけるのは難しい。
いや、野性の兎は追いかける前に、見つけるのも無理だ。
しかも、雪の中では白く変身、夏は黒っぽくて見分けがつかない。
「かの山」に居るのかさえ分かりにくい。
とんぼつり きょうはどこまで行ったやら
「とんぼとり」だとばかり思い込んでいたが、「とんぼつり」が正しい。
ところで、加賀の千代女のこの句は残酷だという評論家Aがいた。
捕ったトンボは「殺す」ことになるから残酷だと言いたいようだ。
トンボは子どもに、そう簡単には捕まらない。
子どもはトンボも欲しいが、仲間同士で野原を駆け回りたいのだ。
朝顔に つるべ取られて 貰い水
もの言えぬ植物への優しさを詠った句だ、と中学の頃聞いた。
「とんぼつり・・・」の作者が、この句も作った。
「きょうはどこまで行ったやら」の句からは読み取れないが、千代女は、亡くした我が子を詠んだものだという。作者に残酷さがあるとは思えない。
小鮒を釣り、兎を追う。この詩も残酷だと、Aは言わないのだろうか。
雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る
雀への思いやり。小林一茶のこの句なら、Aは歓迎するのだろう。
「お馬が通る」の馬には、人が乗っているようだ。
「オレが通るのだぞ。おいスズメ、そこどけ」と言っているともとれる。
Aさんよ、これって雀たちにはチョビっと残酷じゃないの?
リュウさんなら子雀をよけて通るだろう。な~んちゃって!
痛ましい大震災は命の尊さだけでなく、絆や郷愁をも際立たせた。
「どしてるかな父さん母さん。友垣は元気だろか」。
この年末年始、ことのほか帰省客が多いように感じた。
リージョン26号が、月初めに発行された。ほのぼのと嬉しかった。
リュウさん通信は前回、リージョンは「この秋で、発刊まる8年」と書いた。
7年が正しく、8年は間違いだった。
渋谷パルコに全国から集めたフリーペーパー専門店、注目は地方発とのこと。
ここ鹿児島の情報誌事情は、概ね次の状況かと思う。
主婦層ターゲットの「リビングかごしま」がフリーペーパーの草分け。南日本新聞系「フェリア」も女性・主婦層向けで、「てぃーたいむ」は生活情報誌。ブレスト社により年2回発行の「美少女図鑑」も隠れた人気。濱島印刷の子育て情報誌「クレセール」は、ターゲットが明確だとして評価が高い。
フリー(無料)ではないが斯文堂の「タウン情報かごしま」が歴史・部数ともに群を抜く。エンターティンメント誌、南日本出版の「LEAP」も健闘。
後発の「リージョン」はバッティングを避け、どちらかといえばビジネス寄りの情報提供に視点を置いている。
思えば我が社も過去に情報提供をやった。
やっては息切れ、やっては消えた。
刊行活動を続けて7年目を迎えた今、リージョン誕生前夜に思いを馳せる。
誕生には陣痛期、発刊前夜期がある。否、前夜ではなく、前々夜もある。
時おり、高栁毅著「印刷一筋の道 淵上晋の生涯」をひも解く。
平成2年9月28日刊、B5判上製本372ページ。
著者はジャーナリスト、取材・執筆に長けた熱血漢だ。
この種の伝記ものは、主人公を誇張したり神格化しがちだ。
晋の生き様をそのまま遺したい。ノン・フィクションでと著者にお願いした。
そのためか、創作とは違う面白さがある。
同誌に拠れば昭和6年頃、晋が情報紙「ミス天文館」を発刊したとの記述がある。昭和6年は晋24歳で新婚早々。
渕上印刷の個人創業は昭和19年。昭和6年に渕上印刷はまだない。
情報誌刊行の前々夜どころか、「有史以前」ということになる。
晋は印刷業を始める前から情報提供に関心が高かったことが分かる。
「晋の生涯」101ページに次のくだり。
店の隣の本屋に移り住んだ。その本屋は「谷村書店」といい、不況のあおりで店を畳むことになった。正畩がその後を引き取り、晋夫婦に「お前たちでやりなさい」と任せた。昭和6年の正月のことである。晋は張り切った。新しい店名を「晋文館」にした
晋はまもなく「ミス天文館」という月刊情報誌を出版。天文館の劇場や映画館の情報、面白い話題などを織り込んだという。今のタウン情報誌のさきがけである。鹿児島の娯楽街は、このころ結構にぎやかだった。執筆者は鹿児島朝日新聞の畠中季隆(元南日本新聞社長・南日本放送社長)ら若い記者が中心になって、常連客の何気ない世間話のなかで「これは面白い」というものを盛り込んだ。「ミス天文館」は、当時としては奇抜なスタイルの情報誌とあって、かなり売れた(102ページ)
また297ページには、南日本新聞のインタビューシリーズ「トップは考える」に登場した晋が、この道30年を振り返りながら今後の課題と夢を語った箇所がある。昭和49年3月に新聞掲載された。
ところで今私がもっている最大の興味は出版だ。鹿児島の文化、風物、風景などあらゆる生活とその理想を後世に残す努力を続けたい。よりすばらしい本を一冊でも多く世に送り出すのが夢だ
今、印刷産業は電子メディアと紙媒体の併用時代となっている。
晋が情報紙「ミス天文館」を創業よりも前に発刊していた。
「ミス天文館」発信から10数年後、勧められて渕上印刷を個人創業している。起業にあたって晋は、「売り買いの商売は苦手。ものづくりが性に合う」と言っている。紙製品販売業からの転身。流通業から製造業へ。
このことが現渕上印刷につながる分水嶺であり、源流であるとしたい。
かつ、「よろこび 伝わる ものづくり」の源流でもある。





